渡邊邸物語

vol.6 2008年 夏〜秋

7月~始まったお稽古も8月は暑いからとお休み。
9月に入ってお弟子さん達もモチベーションが高くて熱心なお稽古が続きました。
その中で見学にだけ来ていた友人がとうとう「私も弟子入りしたい」と言い始めました。
これならできると思ったのか興味を持ったのかは定かではありません。
このお弟子さんは皆勤賞で今や母の右腕として動いてくれています。
若いお弟子さん達からも「師匠!」なんて呼ばれています。
そんな中で掃除乙女隊にいたYUCCOの「一年後に展示会」は着々と計画が進んでいました。
実施は9月末の二日間。
我が家で展示イベントは初めてです。
YUCCOの想像性に任せて私は不安よりも新しく始まる何かにワクワクしていました。
父「順久」は2004年1月に95歳で亡くなりました。
渡邊は長寿の家系で父の姉(伯母)も90歳代で亡くなりました。
当時としては身体の大きかった父もすっかり齢と共に小さくなり大きな声もかすれていました。
若い頃からプレイボーイだったように亡くなるまで母とは違う女性が側にいて世話をやいてくれていました。
私は彼女とも会い話もした事が何度もありました。
複雑な環境の中でもし私が独身であれば分らない男女の関係であった事はまちがいありません。
最後までモテ男だった父でした。
それだけ母は苦労をさせられてその後ろ姿を見ながらの子供時代を過ごしました。
すべて思いのままに生きる、ほしい物は絶対に手に入れると言う執着心です。
芸術に関してもその通りでした。
言い出したら聞かない頑固で亭主関白でした。
父の前を母は決して歩かない事。
返事は「はい」だけで反論は許さない。
自分が法律・・・そんな人でした。
ただ、義理人情には厚く、して下さった事への感謝とお礼状は書でしたためてそれなりの物をまた送っていました。
我が子達が20歳になった時に父と家族で美味しいエビ料理を遠出して食べに行き帰りに際にそのお店の料理長とサービス係にチップとしてお金を包んで渡していたのを夫と息子が見て「かっこいいなぁーさすが、おじいちゃんや!」と言っていました。」
それだけに味にうるさく気に入らないと「まずい!」と平気で言っていました。
お蔵掃除から武者小路官休庵の若宗匠からのお礼状が見つかりました。
それには「渡邊さんに頂いたコーヒー代のおこずかいをありがたくいただきました」
どんなに高額なコーヒー代だったのかと・・・。
「渡邊」での生活はしきたりの中で全てが行われていました。

08/12/2010

PAGE TOP